徴-karuta-
飯田竜太
紙、箱、かるた、額(ガラス、木枠) / 彫刻・レリーフ・立体・3Dプリント
560 x 745 x 20 mm
スペース: AWAJI Cafe & Gallery
購入、詳細: startbahn.org
ピッカー:
酒匂真理
起業家(miup Inc.)
ピッカーコメント:
酒匂真理
象徴というものは、実体がないものを具現化して形にしたものであり、「富士山は象徴だ」と言われた時に何を具現化したものかと言われると、実は人々の中で曖昧であり感覚的なものである。
そのような曖昧性を日本語から発した「文化としてのカルタ」を用いて富士山という形を表現することで、あいまいな「象徴」が、「文化」の文脈として捉えられていることで、「文化としての富士山」という存在にハッとさせられ共感しました。
Eiko MACHIDA
富士山を表す日本語の集合体は、まるで人の想念でできているかのようだった。世に存在する物事は、実は想念(この作品での言葉)で出来ていて、人の思いが今の形を作っているのではないかと錯覚する作品だった。
ピッカー:
Eiko MACHIDA
designer(enrica)
ピッカーコメント:
酒匂真理
象徴というものは、実体がないものを具現化して形にしたものであり、「富士山は象徴だ」と言われた時に何を具現化したものかと言われると、実は人々の中で曖昧であり感覚的なものである。
そのような曖昧性を日本語から発した「文化としてのカルタ」を用いて富士山という形を表現することで、あいまいな「象徴」が、「文化」の文脈として捉えられていることで、「文化としての富士山」という存在にハッとさせられ共感しました。
Eiko MACHIDA
富士山を表す日本語の集合体は、まるで人の想念でできているかのようだった。世に存在する物事は、実は想念(この作品での言葉)で出来ていて、人の思いが今の形を作っているのではないかと錯覚する作品だった。